みんなに伝えたい、こと・もの・ひと。
<< November 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

【お知らせ】女性限定セミナー
なんか、「女性限定セミナー」って書くと、あやしげですね。。(笑)

私がもう何回も参加しているファイナンスセミナーで、来月特別版が開催されます。
「女性限定」は初めてですね。

板倉雄一郎事務所主催
「オープンセミナーレディースデイ」のご案内


日時 :2006年12月3日(日)13:30-19:30
場所 :ヴィラフォンテーヌ汐留
テーマ:「普段の生活・仕事、そして株式投資まで、損をしなくなる知識

詳しい情報は上記リンク先をご覧ください。

当日私は参加する予定です。

「なんで病気をしなかったら(保険会社から)10万円ももらえるんだろう?
 保険会社は損をしないの?」
とか、
「電器店とかスーパーでもらえる“ポイント”?
 いつも溜めてから使うようにしてます。
 なんか得した気分になれるから♪」

・・なんていう方には特にお勧めです。

「儲ける」ためにではなく、「騙されない」ために、必要最低限の知識は持ちましょう。
私たちは、「資本主義」というルールで作り上げられた日本という国で生きているのですから。

その日ご予定が空いており、少しでも興味を持たれた方は
どうぞ私までご連絡ください。
ここのコメントでもメールでも構いません。

まだ私だって何にもわかっていませんが、
一緒に、学びましょう。
絆イベント〜感想
自分の中で消化するのに、だいぶ時間がかかってしまった。

10月24日(火)に東京駅前で行われた「絆」イベント
会計と落語と歌の融合。

色々な人が書いている通り、
イベントはとても素晴らしいものだった。
舞台上にいる人たちの、心が伝わってきた。

--

今回わかったことがある。
それは、「楽しもう」という気持ちの準備が整っていないと、
楽しめないこと。

言葉にすると当たり前なんだけれどもね。

その日私は辛いことがあって、気持ちがとても沈んでいた。
田中さんの内部統制話も、志の吉さんの落語の時も、
私はほとんど笑えなかった。

決して彼らのせいじゃない。
だってその前の週、志の吉さんの独演会で私は大いに笑っていたのだから。

受け取る私の方が、準備ができていなかっただけなのだ。

そう考えると、普段なにげなく過ごしている楽しい時間が、
とても貴重なものだと思えてくる。

「楽しいものを提供しよう」とがんばる人がいること。
「たくさん楽しんでやろう」と、そこに集う人たちがいること。
楽しもうという空気が、場が、生まれること。

それらが揃って、初めて「楽しい」が生まれる。
それは、奇跡だ。

誰かの話に、みんなで笑っていることが、
どれほど「奇跡」であるかを感じることができた。

これも、今の私に必要な学びだったのだろう。


英一郎さんの歌には、ただ涙した。

思うところあり、イベント後半は会場一番後ろに席を移動し、彼の歌に耳を傾けた。
英一郎さんの姿も見えない席で、目を閉じ、
その穏やかな歌声に身を委ねた。

彼の歌声が、これ以上ないくらい、すっと私の心に入ってきたのがわかった。

「この雨に君が濡れていないように」

一番好きな歌だ。
先日の「英一郎コンサート」で、この歌が入ったアルバムを購入した。
それから繰り返し聴いている曲。

コンサートでは実行委員の立場が気になって、
心で聴けなかった英一郎さんの歌。

今回は、とても響いた。

ぼろぼろ泣いた。

そんな思い切り泣ける自分が、心地よかった。

みんなそれぞれの想い出に浸っていたみたいだけど、
あの日会場で一番泣いていたのは、きっと私だろうな。
うん、間違いない(笑)
信じるということ
ブログに書きたいことは山ほどあって、
実は下書き保存しているエントリもいくつかあったりする。

でも頭の中で日々いろんなことを考えているうちに、
下書きでこれから書こうとしていることにつながっていき、
そのうちぐるぐるぐるぐるぐる。。。

ま、全てはつながっているからこういうことになるんだけど。

* * *

最近、「信じる」ってどういうことか、よく考える。

「信じてたのに・・」
そういう台詞がドラマや小説では頻繁に出てくるけれど、
見る限り、相手の行動や結果が自分にとって都合が悪いから、
そう言ってるよね。

でも、信じるってそうじゃないと思う。
自分が一度信じると決めた相手がいれば、
その人の行動や出した結果がどんなものであっても、全てを受け入れるということ、

それが、「信じる」ってことなんじゃないかなぁ。

そしてそれは、何より自分を信じるということに、つながっているのだと思う。

だから、
裏切られたと思ったら、まずは自分を振り返ってみよう。
自分を信じ、そして許そう。
ファシリテーターデビュー
先週金曜日、社内にてファシリテーターデビューを果たした。
2時間のオフサイトミーティングの進行。

私の感覚と、アドバイザーファシリテーターの“ワッシー”からのフィードバックと、
あと参加者25名ほどのアンケートを見る限り、
ほとんどの人がポジティブな何かを得ることのできた場になったようだ。
嬉しい。

今回個人的にポイントとしていたことは2つ。
何より私が楽しんでやること、
そして、参加者の力を信じること。

「リラックスしてくださいね」
例えば、前に立っている人がそう促したときに、その人自身が
緊張した様子だと参加者も同調してしまうもので、
リラックスなんかできない。

せっかく忙しい中、時間を縫って参加したのだから、
みんなにオフサイトミーティングを楽しんで欲しかった。
だから、私がまず楽しもうと思った。

あと、参加者の力を信じることについて。

私はどうも昔から、関わった何かが“うまくいかない”と、
自分のせいだと思いすぎる傾向がある。
(最近わかってきたのだけど)

でも、うまくいかなかったからといって、
それが全部私のせいだと思うのは自意識過剰だし、
(私はどれほど力を持っているのかとね)
それにそもそもうまくいかなかったと思うのは、
あくまで私の中で持っていたイメージ通りにいかなかったというだけで、
それは私自身の思い込みに過ぎない。

何かを持って帰るのはあくまで参加者自身であり、
うまくいった時もそれは彼ら自身の力によるものに過ぎないのよね。


尊敬している方々からはアンケートでお褒めの言葉をいただけたし、
わっしーから素敵なフィードバックもいただけた。
私自身大いに頷くフィードバックだった。
これでますますパワーアップ間違いなし♪

今回一番ラッキーだったのは、きっと私だね(笑)

チャンスをくださった方々には、ただ感謝です。
どうもありがとうございました。
1日が宝物
トレーナー同期のさららさん、
彼女の日記は、いつも読んでいて心地よい。

長野に住み、ワイナリーに勤めている彼女は
愛すべき家族に囲まれ、
パートナーや子どもたち・周囲の人たちにたくさんの愛情を注ぎ、
毎日をきらきら生きている。
青い空から、彼女の周囲に光が降り注いでいるのが見えるよう。

mixiで、今日の彼女の日記を読んで、また暖かい気持ちになった。
生まれてきてくれて、ありがとう
子どもたちが、自分を選んで生まれてきてくれたことに対する感謝の気持ちが
素直に綴られている。

 彼女は、
 全てを慈しんでいる。

今日の日記を読んだ瞬間、ふと、そう思った。

1日1日をそれ自体が宝物であるかのように感じて生きることは、
なんて素晴らしいことだろう。
全てを慈しみながら、1日を過ごすー。
それは(実現すればきっと)どれほど心地の良いことだろう。

環境のせいだけにするつもりはないが、
でも、時間の流れが速い東京では、
1日を宝物と感じるのは難しいのかも知れない。
1日は、簡単に「毎日の中のただの1日」になってしまうのだろう。

全てを慈しんで生きたい。
ただそう思う。

そうすれば、他人との何かを比べている時間も、
この浅ましい思いに囚われることもないのだろうに。
出会う人、出会わない人
金曜日、ファシリテーターの大役と、その日の仕事を終え、
六本木で開催された「後日常オフ会」へと向かった。

企業価値評価セミナーでとてもお世話になっている橋口さんは、
多彩で、そしてとても濃いつながりをお持ちだ。
彼に引き寄せられ、そこに集った人々はいずれも魅力的な人ばかり。
ビジネスパーソンとして、男性として、女性として、
そして何より人として。

ERP話が通じるACの人がいて業界話で盛り上がったり、
橋口さんとの漫才コンビネーションが素晴らしいMBAつながりの方に
たくさん笑わされたり(笑)、
最初から最後までとても楽しい会だった。

その場を作ったのは、参加した全員だ。
誰が1人欠けても、誰か1人多くても、同じ場は生まれない。

私たちが集ったのは、偶然でもあり、必然でもある。
そう思うと、人との出会いとはとかく不思議なものだと
思わずにはいられない。

出会う人がいて、一方では出会わない人がいる。
出会わない人がいることに目を向けると、
今までに出会った人と出会ったことは、確かに何かの意味があって出会っているのだろうと強く思う。

過去、そして現在に続く様々な出会い。
私はそこから何を学べと言われているのだろうか。

--

懐かしい再会があった。
大学時代、ビジネス道場で共に楽しい時を過ごした、
私がとても尊敬している大切な“仲間”との約4年ぶりの再会。

不思議な縁があり、彼も偶然このオフ会に参加していた。
もうこのつながりにはびっくり。。(笑)

私の大学4回生は、彼らが提供してくれた志溢れる仲間たちとの素晴らしいコミュニティによって、とても豊かで楽しいものになった。
改めて、心から感謝します。
ありがとう。

そして、こうして再会できたのも何かの意味があるのでしょう。
また共に過ごす豊かな時間があることを、楽しみにしています。
CLAセミナーでの学び
土曜日はCLA主催のセミナーに参加した。
尊敬する石野師匠のファイナンス講座。
運営主体であるCLA側には、メンターとしてMacさんが参加されている。

実は今回の内容は、もう何度も企業価値評価セミナーで聞いていること。
でもそれでも参加する理由は、一緒にいて心地よい彼らと、できるだけたくさんの時間を過ごしたいから。
それが全てと言ってもいいかもしれない。
ファイナンスを通して伝わってくる師匠やCLAメンバの“哲学”を
たくさん共有し、それを心で感じることが、私の一番のワクワクなのだ。

教えるという行為は、そのテーマが何であっても
結局は話し手の哲学を伝えている行為に過ぎないと思う。
哲学に賛同できるときは、内容も素直に受け取れるものだし、
そうでない場合、講義はただのつまらない言葉の羅列になる。
大学時代の4年間、中学生相手に塾の講師を勤めながら
私は人生哲学を懸命に伝えていたつもりだ。

以下、今回のCLAセミナーから学んだこと。
自分用のメモとして。

・「儲かる」という言葉はキライ。
 →「社会に価値提供できる」ならしっくりくる。

・「仕事を振る」という言葉はキライ。
→「それぞれの個が活きるよう役割を分担する」が好き。

・期待値のコントロールはとても重要。
 それはファイナンス分野だけに限らない。
 友情、恋愛、日々の生活、全ての場に関わってくるものである。
 (一発屋で終わらないために)

・継続性を求めるなら、無理は禁物。
 我慢を重ねると、遠くないタイミングで必ず破綻をきたす。
 継続可能なラインを見極めよう。

色々な反省と共に、心に響く内容だった。

講師の石野さん、CLA事務局の方々、
素敵な場を提供いただき、ありがとうございました。
椿山課長の七日間
##本記事には若干ストーリーがわかる内容が含まれます。
##ストーリーを知りたくない方はご注意ください。






映画「椿山課長の七日間」を観た。

2006年も終わりの今になって、今年最高に感動した映画に出会ってしまった。
それほど、良かった。

「せがれを愛してくれて、ありがとう」

突然この世を旅立ってしまった主人公・椿山が、絶世の美女になって現世によみがえる。
自分のかつての自宅だった場所で再会した彼の父親が、
その美女(椿山)に向かって言う台詞。

その台詞を聞いた瞬間、胸にこみ上げるものがあった。。
そこに重ねたものは、わかっている。


「好きだって伝えたいのに・・もう伝えられないんだよねぇ。。」

椿山の同僚だった知子。彼女は椿山を愛していた。
自分でも気づかないくらい、悲痛な思いを共に胸に秘めて。

空気のような存在は、それを失ってから初めて気付く。
自分にとってどれほど大きな存在だったかを。


「・・ありがとう。」

椿山と共に現世に戻ってきた少年・雄一。
彼は、“生みの親”に一目会うことを望んでいた。
ヤクザ稼業を理由に、父親不在の時期に雄一を里子に出した母親。
彼女は、ずっと悔やんでいた。

でも彼女は雄一を“見つけてくれた”。
ようやく、生んでくれた親に向かって感謝の気持ちを伝えられた雄一。
彼は母親に抱きしめられ、微笑みながら再び旅立って行った。



観ている間中ずっと、この映画が伝えたいメッセージを、
とても強く、クリアに感じ取ることができた。

それは、「思いは、伝えないと伝わらない」ということ。

「ずっと言いたかった。
・・生んでくれてありがとう。」
--
「お父さんに伝えたいことがあったの。
今まで育ててくれて、ありがとうって。」


2人の子どもたちが、それぞれの親に向かっていう台詞。
1人は、生まれてきてからようやく初めて会うことができた両親に。
もう1人は、いつも一緒だったけれど、今はもう会うことのできない父親に。

それぞれとても感動する言葉だけれど、
でも、、なんかせつないよね。
だって、思ってるだけじゃ伝わらないのだから。
「思っていた」では、意味がないんだ。


とても心に響く映画だった。

映画は1度しか観ない習慣だけれど、
これは、ぜひまた観に行きたい。

コブクロが歌うテーマ曲「あなたへと続く道」をリピートで聴きながら、
そんなことを思った。

そこに見るのは自分の姿
後輩の言葉遣いが、よく気になる。
クライアントに失礼だと思われないかと、平静を装いながらも内心ひやひや。

その度に思う。
(私が新人だった頃は・・もっとましだったよね?)

これはきっと事実。
本を読むのが好きだったせいか、学生時代に貴重な経験をたくさんしたおかげか、
社会人になって「敬語」で苦労したことはない。

でも、

(いやいや、私もきっとこうだったに違いない)

私はそこに、自分の昔の姿をあえて重ねて見るようにしている。
重ねることで、相対しているのは昔の自分だと、
そう思うようにしている。

それが“真実”かどうかなんてどうでもいい。

重ねることで、私の向き合う姿勢が変わってくると思うから。
相手を、もっと愛しく思えるから。

余計なものに心囚われることなく、
ただひたむきに、
同じ方向を見つめようと努力できるに違いないから。