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2011.05.06 Friday
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みんなに伝えたい、こと・もの・ひと。
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いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定してなんら怪しむことがない。
しかしほんとうに無宗教なのだろうか。
日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。
それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか?
著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。
そして、現代の日本人にあらためて宗教の意味を問いかける。
(中略)
おんちゃんの花束のユリのつぼみが無事開いてよかった。
あの場で言い忘れましたが、
「(おんちゃんのイメージの)オレンジのユリをひとつ」
「今よりもこれから輝く人なので、花よりもつぼみで」
とオーダーしたのでした。
みんなの無限のつぼみが、
これからたくさん花開いていきますよう。
たしかに競馬新聞には芸術的と言えるほど、大量の情報がコンパクトに凝縮されています。
(中略)
彼は競馬新聞の素晴らしさに感動し、こんなことを訊いてきたのです。
「みんな、どこで競馬新聞の読み方を習うの?
・・そんなことまじめに聞かれてもねえ。思わず答えに窮しました。
競馬場のオジさんたちは決算書より難解な(?)競馬新聞の読み方をどこで覚えるのか?
うーん、これは答えに困った。「なんとなく」あるいは「いつのまにか」読めるようになった−そうとしか答えられないんですよ、正直なところ。
ただ、みんながどうして競馬新聞が読めるようになるのかはハッキリとわかります。
それは競馬場にいる人たちがみんな、「競馬が好きだから」。
人が何かを学ぶ場合であっても、興味と好奇心は最も重要なエンジンです。
これがないと車は走り出しません。
講師の仕事というのは、とにかく興味と好奇心の喚起に尽きると思うのです。
それさえ持つことができれば、みんな自分で勝手に走り出しますから。
数字を学ぶ場合、何が問題かって、個人の生活から会社にいたるまで、興味と好奇心を持ちにくい状況ができあがりすぎている、ということです。
「ゲイ・オカマ・ホモ」よりむずかしい「財務・会計・経理」の区別