みんなに伝えたい、こと・もの・ひと。
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宗教に対する抵抗感
日本人はなぜ無宗教なのか
日本人はなぜ無宗教なのか
阿満 利麿

表紙裏のまえがきより
いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定してなんら怪しむことがない。
しかしほんとうに無宗教なのだろうか。
日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。
それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか?
著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。
そして、現代の日本人にあらためて宗教の意味を問いかける。

にいさんがmixiでレビューを公開しているのを見つけ、タイトルにとても惹かれるものがあったので、読んでみた。
想像よりとてもおもしろく、先日の仏教ルネサンス前に読んだので、良いインプットになった。

それにしても、私が宗教の本を読むなんて、少し前まで想像もしなかった。
おもしろいことに、私自身のこの考えそのものが、この本が述べるところに非常に共感した理由にもなったのだけれど。

「宗教」という言葉は、この本で言うところの「創唱宗教」を連想させる。
新宿の交差点などで見るからにアルバイトであろうおじさんたちがスピーカーを持って説教テープを流している、あれだ。
あまり、良い感じはしない。

そのような「創唱宗教」団体の一員だと思われるのがいやで、多くの日本人は自分は無宗教だと答える。
そして私もその1人だった。

はっとすることが何度もある内容だった。

近代日本になり、なぜ日本人が「宗教」から遠ざかるようになってしまったのかが、わかりやすく書いてあった。
しかしながら生まれた以上、この世に生きる意味を見出さなければ、生きていくのは難しいと、そのために宗教は必要となってくると著者は唱える。
宗教の存在意義は、この辺にあるのだろう。
飯田先生の『生きがいの創造』が多くの人に求められたのも、同じ理由だと思う。
人は、自分がなぜ生まれたのかを知りたいのだ。

私の、「宗教」というものに対する見方が少し変わった。
東京という土地
先日行った中沢新一氏の講演はとてもおもしろかった!
行って良かった〜♪

アースダイバー』はまだ読んでいなかったのだけれど、そんな私にもわかりやすい構成・内容だったし、眠たさなんて感じる暇は全くなかった。
ずっと脳が刺激されてました。
今度本も読んでみようっと。

『アースダイバー』を生み出すことになった背景が興味深い。

・現代の人間を見ていると、誤った方向へ進んでいるような気がしてならない。
何かを見直すために、自分たちのルーツを探りたいと思った。
江戸の視点で東京を見るのは一般的だが、それでは足らないと思った。
それでは浅すぎるのではないか、もっと時代を遡る必要があるのではないかと。
現代の人間は、もうそんなところまで進んでしまっていると感じている。

・東京の地形には謎が多い。
自転車で東京中を巡ったが、激しいアップダウンが多い。
そして高いところには裕福な住宅街が、低いところには下町の情緒溢れる民家が多かった。
土地の高低に、なぜか街の雰囲気が連動していた。
また海外を見ると、首都はだいたい平地に作られているのに、東京は起伏が激しい。それはなぜだろうか。

これらの疑問に、中沢氏はある日ふと縄文時代の世界が深く関係しているのではないかと思いついたそうです。
それが『アースダイバー』が生まれるきっかけとなったと。

うーん、おもしろい。

ちなみに、中沢氏はとても言葉を選んで、感覚を、気持ちを聴衆に伝えようとされていました。
だからあまり論理的でない書き方になっていると思いますが、言いたいことは伝わると思います。

あと、「ラブホテル説」もおもしろかった。
現在ラブホテルが並んでいるところは、昔は聖なる土地だったようで、聖地には必ず遊郭が存在しており、それが時代の変遷と共にラブホテルへの変わっていったのだとか。
「だから、これからラブホテル街を見るときは、聖なるものを見るような目で見ましょう」と中沢氏は冗談交じりにおっしゃってました(笑)

あとゴジラとモスラの映画を引き合いに出され、南の海と東京の関係についてもおもしろい分析をされていました。
ゴジラとモスラが、南の海で目覚め、「まるで何かに引き寄せられるように」東京に来たのは、とても深い意味があるではないか。
東京は壊れやすい街だということ、そして東京は南の海に対して何か受信機のような役割を果たしているのではないか、日本人は南の海に何か深い精神的なつながりを有しているのではないかと。
そう唱える論理的な根拠はないのだけれど、中沢氏はいろんなものからそう感じられるそうです。

また六本木ヒルズのような、「〜ヒルズ」とつくところに、本当にヒルズに作られたところはないともおっしゃっていました。
縄文時代に海に沈んでいたところを、ヒルズと名前を付けて“台地に変えようとしている”と。
だから、昨今の“ヒルズ族”が巻き起こす騒動は、感覚的に納得するところであるそうです。
これ以上土地の声を無視した都市開発は進めるべきではないし、またそれは同時に不可能だろうとも言われていました。

東京は、縄文時代の匂いが色濃く残っている場所であり、とても野性的な土地らしいです。
表面的にはとてもそうは見えないけれど。

もっと土地の声を感じて、土地と共に生きよう。

終始、そのメッセージが印象的でした。

今『大阪アースダイバー』に取り組まれているそうです。
あいりん地区が非常に興味深いとおっしゃっていました。
楽しみに待ちたいところです。
つぼみが開いた
帰宅すると、昨日はつぼみだった花が1輪、大きな花を咲かせていた。

知らぬ間にその花は咲いていた。
オレンジ色の花びらを大きく広げ、ただ、そこで精一杯咲いていた。

--

初めてのワークショップが昨日終わった。
土日2日間のソースベーシックワークショップ。
受けてくれたのは、私の大切な人たちだった。

「おんちゃんから誘われたから。
 おんちゃんがトレーナーだったから、受けたんだよ。」

ワークショップの中で、打ち上げの飲み会の席で、
アンケートで、感想のメールで、
みんなにそう言ってもらえたことが、私はとても嬉しかった。

私も、あなたたちだったから直接誘った。
私が体験した感動を、大切な人たちにも感じて欲しかった。
そして、それを私自身の手でお手伝いできるなんて、最高だと思った。

昨日までのワークショップを準備している期間、当日を思い描く度にワクワクする自分がいて、でも一方でそれと同じくらい不安を感じている自分もいた。
自分との戦いだった。

感情は常に一緒にやってくる。
光と影がそうであるように。
光が強ければ、影もその分強くなる。

信じるしかないと思った。
不安を感じている自分をまず認め、受け入れることが必要だと。
そして、それくらい良いものを提供しようと思っている証拠だと自分に言い聞かせることで、私は最後まで乗り切ることができた。
ただ無邪気に自分を信じることが大切であり、信じ続けることができれば、それは叶うのだとわかった。

そのままの自分を受け入れ、自分を許す−。
これはソースの基本だ。

みんなつぼみを持っている。
心の中に、何かにワクワクする気持ちというつぼみを確かに持っている。
でも、そのつぼみを思いっきり開かせることなく、旅立ってしまう人の何と多いことか。
そのつぼみを見つけ、水をやれば、きれいな自分だけの花が咲くというのに。

2日目の日曜の夜、ワークショップ打ち上げの席でサプライズの贈り物をいただいた。
オレンジ色の花束と、woodベースの写真立て。
てっきり電話で席を外されているのだと思っていたら、いつの間にかこんな素敵なものを買いに行ってくださっていたとは。。。
サプライズの後の食事は、胸がいっぱいでほとんど食べられなかった。

みんなの笑顔がまぶしく、花束の輪郭はなぜかにじんで見えた。

私の中のつぼみが、花を咲かせた瞬間だった。

--



他の人の目を気にするのはやめよう。
他の人のものさしで、自分を測るのはもうやめよう。

あなたは、あなたで素晴らしい。

静かに頬を伝う涙を隠す必要もないし、
理想の自分になるために、変わる必要もない。
子どもの頃の、あなたの心を取り戻せばいいだけなのだ。

ワクワクする毎日を生きるために。
何より、人生という旅を楽しむために。

そして、今度はあなた自身の花を咲かせよう。

flower
可能性を感じるということ
追って、メールが届いた。

(中略)
おんちゃんの花束のユリのつぼみが無事開いてよかった。
あの場で言い忘れましたが、
「(おんちゃんのイメージの)オレンジのユリをひとつ」
「今よりもこれから輝く人なので、花よりもつぼみで」
とオーダーしたのでした。





・・なんというか、、
このメールを見た瞬間、私の胸には暖かく、何とも形容しがたい想いがこみ上げてきた。
鼻の奥がツンとした。
そして、込み上げる想いは、涙となって静かに頬を流れ、
私はしばらくこのメールから目を離すことができなかった。。



彼は、私の先を見てくれていた。
私自身もまだ見ぬ、私の将来の姿を見てくれていた。

そこにどんな姿はあるかはわからない。
でも、
自分をもっと大切にしよう。
もっとがんばろう。
そんな思いが溢れ出て、しょうがなかった。


なぜこれほど私は感動したのか。
心を見つめてみた。

思うに、、人はそこに“可能性”を感じたときに、心を揺らし、涙を流すのではないだろうか。
そして、その対象は自分だ。
いかなる時も。


スポーツに感動した時も、
思わぬ誰かの情に触れた時も、
縁ある誰かがこの世を去ってしまった時でさえも、

人はそこに
「自分はもっと何かができるのではないか」
という可能性に満ちた何かを見出し、
涙するのではないだろうか。


だから、泣ける人は、強い人だと私は思うのだ。
そこに可能性を見出す力を持つ人だと思うから。



先のメールは、こう結ばれていた。
全てを包み込む優しい言葉。
私も、同じことを願ってやまない。

みんなの無限のつぼみが、
これからたくさん花開いていきますよう。


私が大切にしたいもの
“元・会計士”の田中さんが、私の投げかけた質問に答えてくださった。

ありがとうございます♪
正直まさかお答えいただけるとは思っていなかったので(笑)、嬉しかったです。

<田中さんのブログ記事>
ワーキングプア
私が大切にしたいもの

田中さんの「大切にされたいもの」は、私もとても共感する内容だった。


さて・・、私自身も、改めてその問いに答えてみようと思う。

私の大切にしたいもの、それは、

「魂の共鳴」

だ。

もう少しわかりやすい言葉で言うと、

「仲間」、
「自分を信じる心」、
「価値の提供」、
「Give&Given」、
「ワクワク」、
「触れあい」・・

こんな言葉が出てきた。
これらは全て、私の中では「魂の共鳴」につながっていく。


「大切にしたいもの」は、「求めてやまないもの」でもある。
私はこれらを追い求めて、生きていくんだろうな。
魂の共鳴を感じる一瞬のために、全てを傾けて生きていくのだろうな。。


みなさんの、大切にしたいものは何ですか?
ぜひ教えてください。
目を疑う光景
ベビーカーを押しながら、閉まる間際の電車に駆け込もうとするどこかの母親を見た。


見た瞬間、自分の目を疑った。

ここは山手線。
ホームを歩いている間に、次の電車は来るというのに…。




考えずにはいられない。
彼女を追い立てるものは、何なのだろうか。

ひとつタイミングが狂えば、子どもの命が危険に晒されることは明白だ。
彼女に、子どもの安全よりも、数分おきにくる電車の少しでも早いものに乗ることの方が重要だと、思わせるものは何なのだろうか。


世界はつながっている。
私たちは1人1人、“彼女”に与えている影響を考える必要がある。
みんなとのお別れ
「自分がこの世を旅立った後」のことを考えなかった日なんて、
1日だってない。

命は有限だ。
そして、魂は無限だ。



旅立ちは、大切な人たちとのしばしの別れ。
次の世で出会うまでの、ほんの少しの期間のさよなら。

そのさよならへの入り口となる別れの場を、私はどうやって過ごしたいのだろうか。

遺言というもののことを初めて考えた15歳の頃から、
私はずっと考えてきた。




結論。
して欲しいことは、1つだけ。

私の大切な人たちに集まってもらい、棺の前で、お酒を酌み交わしながら
語り合って欲しい。
大いに笑いながら、時には静かな涙と共に。

私という人間がいたことを、私が残したたくさんの思い出を、
私が愛したたくさんの人たち同士が互いに語り合っているのを見るなんて、
それは何より幸せな光景に違いない。

私はきっと、その光景を笑顔で見ているだろう。


そして、、やがて夜は明け、みんなそれぞれの日常に帰っていく。
そこで生まれた新たな縁に、いつかの再会を約束しながら、
それぞれの場所に帰っていく。

私の体は、きっとどこかに還っていくのだろう。
でも、私は生き続ける。
大切な人たちの心の中に、生き続ける。

そうして何かあったとき、ふと思い出して語りかけてもらえるならば、
それ以上の幸せはない。
『数字は見るな!』
そうそう、ちょうど1週間前の土曜日だった。
企業価値評価セミナー再受講のために汐留ヴィラフォンテーヌに行き、ホテルのロビーでこれを読んだのは。

数字は見るな! 簿記があなたの会計力をダメにする
数字は見るな! 簿記があなたの会計力をダメにする
田中 靖浩

公認会計士、そして時々“元・公認会計士”になる田中さんの新刊。

以前田中さんはこんなことをおっしゃっていたけれど、この本にも全く同じことが言えると思う。
田中さんの、「みんなで“健全な成長”をもっと大切にしよう!」という想いが溢れた本。
だから、読んでいてとても心地よかった。


私の心に特に響いたところを、少し引用。
たしかに競馬新聞には芸術的と言えるほど、大量の情報がコンパクトに凝縮されています。
(中略)
彼は競馬新聞の素晴らしさに感動し、こんなことを訊いてきたのです。
「みんな、どこで競馬新聞の読み方を習うの?
・・そんなことまじめに聞かれてもねえ。思わず答えに窮しました。
競馬場のオジさんたちは決算書より難解な(?)競馬新聞の読み方をどこで覚えるのか?
うーん、これは答えに困った。「なんとなく」あるいは「いつのまにか」読めるようになった−そうとしか答えられないんですよ、正直なところ。
ただ、みんながどうして競馬新聞が読めるようになるのかはハッキリとわかります。
それは競馬場にいる人たちがみんな、「競馬が好きだから」


先日私が開催したソースワークショップに思いっきり通じるところ。
そう、人って自分の好きなこと、ワクワクすることしかできないんだよね、結局。
だから自分のワクワクを探すことが、まずは大切なのです。

人が何かを学ぶ場合であっても、興味と好奇心は最も重要なエンジンです。
これがないと車は走り出しません。
講師の仕事というのは、とにかく興味と好奇心の喚起に尽きると思うのです。
それさえ持つことができれば、みんな自分で勝手に走り出しますから
数字を学ぶ場合、何が問題かって、個人の生活から会社にいたるまで、興味と好奇心を持ちにくい状況ができあがりすぎている、ということです。




あと、読んでいる最中、かなりの割合でニヤニヤしながら読んでました。
だって・・おもしろいんだもん(笑)

「ゲイ・オカマ・ホモ」よりむずかしい「財務・会計・経理」の区別

この項目見たときなんか、思わず噴出しちゃったし。
1人ロビーで怪しい人になってた気が。。。



まぁまぁ、とにかく読んでみてください。
日本で育った人の多くが持つ、数字の苦手意識が取れます。
お楽しみに。



追伸:
本日から1週間程、ちょっくら海外に逃亡してきます。
運よくネットカフェに遭遇することができれば、もしかしたら更新するかもしれません。
メールいただいている方々、そういうわけで返信遅れてすみません。
帰ってきたらゆっくりお返事書かせていただきますね。
では、行ってきます!!